昭和10年頃の店舗

古〜い写真がいっぱい?

[五ノ橋通り周辺の歴史と現在]  

お江戸日本橋と千葉(房州)佐倉を結ぶ佐倉街道の中継点に位置する亀戸・五ノ橋は千葉方面からの水産物・農産物が運河によって荷揚げされ場所であり、又、かつて「歌川派にあらずば浮世絵師にあらず」とまで謳われた歌川豊国(別名・亀戸豊国)が五ノ橋の渡しの株をもって「五渡亭」と称し住んでいたことでも有名です。
その後、明治通りと京葉道路が整備(昭和30年〜40年頃)され戦前(昭和10年頃)には、約80店の商店が並び、遠く江戸川や千葉からも集客する、東京の東の一大商業地として発展しました。
大戦中の大空襲による甚大な被害を受けながらも戦後、人々の努力により見事に復興し、現在「けやき並木の美しい五ノ橋通り」として発展を続けています。

(五ノ橋豊国通り商店会 佐野正明)


[歴代会長紹介]
谷 泰助氏 戦後 初代会長 谷  泰助(昭和20年〜)

戦後の焼野原の中から再スタートを切った五ノ橋通り商店街の初代リーダー。細心大胆、戦後の混乱の中全員をまとめ、見事に商店街を蘇らせた。
佐野一郎氏 二代目会長  佐野一郎(昭和30年〜)

交通の要所であり五ノ橋商店街の入り口である明治通り・京葉道路交差点に歩道橋を完成させた。これにより人身事故が激減した。
横山長一郎氏 三代目会長  横山長一郎(昭和46年〜)

当時、まだ珍しかった商店街のアーケードをいち早く取り入れ完成させた。
林 有芳氏 四代目会長  林 有芳(昭和51年〜)
商店街会費の徴収に初めて「間口割り」方式を採用し、会費の不平等の是正に努めた。
佐藤勝美氏 五代目会長  佐藤勝美(昭和55年〜平成20年)

東京都の修景事業によりアーケードを全廃し、現在のけやき並木とカラー舗装歩道を完成させた。又、アイデアと実行力で様々なイベントを開催し、江東区及び亀戸の名物人として有名。
   六代目会長  佐野正明(平成20年〜現在)

[昭和10年頃の亀戸五ノ橋通りとその周辺]

亀戸は古き良き伝統の街といわれ、観光資源と下町風情に支えられて活力ある商業活動を続けて参りました。今日、近代的オフィス、マンション、大型店も増え、商・住・観、混交の副都心として生まれ変わろうとしています。
そうした中にあって私たち現代に生きるもの、又次代を担ってゆく人たちが心しておかなければならないこと、それは、過去があって今があるということ、すなわち先人が血と汗によって築いてくれた歴史の上にたって今があるということだと思います。
これ以上、昔のものは無理だとしても、せめて今から68年前にさかのぼった地域図を今残しておかなければ風化してしまうとの思いから、地域の歴史の証人ともいえる十名程の方々にお願いし、その頃のことを思い起こして頂きながら何回も書き加えて頂きました。それを集成したものがこの図ですが、昭和10年は私自身も生まれ年であってほとんど覚えていない為、正確さに欠けるところもあろうかと存じます。お気づきの箇所がございましたら、お教え頂きたくお願い申し上げます。
戦渦を超えている為とは言え、あまりの変貌ぶりに愕然としたものを感じずには居られませんが、これからはどの様に移り変わってゆくのでしょうか。未来に向かって人情の輪、地域の連帯を大切に守りながら一層の生成発展を続けていくよう心からの願いを込めて・・・

(平成15年4月  佐野一信)
 

ご協力を頂いた方々
亀戸1丁目 若泉清平 様(大正5年生)    
亀戸1丁目 谷  一 様(大正5年生)    
亀戸1丁目 桜井シゲ 様(大正7年生)   
亀戸1丁目 塚田義晴 様(大正9年生)
亀戸1丁目 日江井貞夫 様(昭和3年生)
亀戸1丁目 二見好一 様(昭和9年生)
亀戸1丁目 佐野花子 様(大正2年生)

亀戸6丁目 松江直吉 様(大正7年生)
亀戸6丁目 出沼正子 様(大正12年生)
亀戸6丁目 松江実子 様(昭和7年生)



御協力まことに有難うございました。



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